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東海市の概要
■東海市は、名古屋市の南に位置し、市の西側が伊勢湾に面している。
■市外局番が2通りあり、もともと名古屋の番号の管轄だったのが東海市ができて分かれた際に、市外局番の変更をしない方がいたので2分化されたらしい。
■海に面した海岸沿いは、工業地帯となっている。愛知用水の通水により、臨海部が新たに埋め立てられ新日本製鐵㈱名古屋製鉄所などの大工場が操業するとともに、人口も大幅に増えました。
東海市しあわせ村
ふれあい橋 ヤカン池 トリム広場 カワラヒワ
ふれあい橋 ヤカン池  トリム広場 カワラヒワ
ヤカン池に架かっている橋です。
しあわせ村の北東の駐車場から入るとすぐのところにあります。
20~30mくらいの長さです。
ふれあい橋から撮ったヤカン池の写真です。とくにヤカンの形をしている訳ではなさそうだったのでどうして『ヤカン』なのか謎でした。 緩やかな傾斜が広場となっており、遊具もありました。ふれあい橋を渡るとトリム広場となっています。  カワラヒワを見つけたのでそっと写真を撮りました。
全長14.5cmほどで留鳥として林に生息し、市街地でもよく見られます。全身がオリーブ色で、飛ぶと翼の黄色の帯が目立ちます。
弘法の丘からの入口 風神様? 雷神様? 大仏
弘法の丘からの入口  風神様?  雷神様?  大仏 
弘法の丘から来た大仏前へ続く道です。この大仏は産業道路からも見えて、びっくりさせられます。 弘法の丘からの入口から階段を上り中間地点に2つの銅像が階段の間に建っていました。 こちらの像は、手にいかづちを持っていたので雷神様だと思います。右側に立っていました。 この大仏は、名古屋の実業家山田才吉が、「大正天皇御大典記念」として発起し、その後、「昭和天皇御成婚記念事業」として、昭和2年(1927)に完成させた。鉄筋コンクリート製で、高さ18.79m。 
東海市役所の裏の広場にあった野外彫刻
守屋行彬 鈴 明 坂口正之
守屋行彬
Korin Moriya
鈴 明
Suzuki Akira
坂口正之
Masayuki Sakaguchi
<野外彫刻賞>
[Prelude]
鋼鉄の船が無限<>の彼方へ旅立とうとしている。軸先は天空を切り裂き、帆は風を孕(はら)んで軽々と。〝Prelude″は、自然と感応し四季折々の色合いを映しだす航海の支度がすべて整ったようだ。
<最優秀賞>
[LIGHT-TRIANGLE]
[コメント]:私は作品を見るだけでなく、触れる、中に入るという様な身体全体で感じられるものとして創っています。今回は太陽光による虹の万華鏡の様な空間と青空の見える空間、この二つの内と外の意外な空間を体感して欲しい。
<都市彫刻大賞>
[仮作体「89-1]カー・トーテム・ホール]
小さく作って大きく小柄スパッと切ってグイッと曲げる、鉄板工作のはなれわざ。
吉本義人 斉藤史門 外礒秀紹
吉本義人
Yoshihito Yoshimoto
斉藤史門
Shimon Saito
外礒秀紹
Hidetsugu Tonoiso
<野外彫刻賞>
[漂う形態]
7つの魂が動いている。下部の3つはそれぞれ回転数と回転方向を与えられている。他は互いに指定されながら且つ勝手に動きを決定している。うねり、浮遊する形態は、例えば原生動物のうごめきにみえるだろうか。
<野外彫刻賞>
[傾斜する形]
[コメント]ここ数年鉄を素材に彫刻作品をつくっています。鉄は形をもっていない。形をもたない素材から形をもたす。その形が素材となってそこから作品を作りだす。
<野外彫刻賞>
[△・△]
[コメント]鉄の塊を吊り下げ、それを左右に置いてみた。ハランスある緊張感をだしたかった。作品は世にある吊り鐘をイメージされればよい。そして風が吹けば、この魂を響かせてくれる。
東海緑地大池公園
鳥獣保護区域看板 大池 芝生の山 芝生の山ベンチ
鳥獣保護区域看板 大池 芝生の山 芝生の山のベンチ
緑地公園内は、鳥獣保護区域になっていました。いつまでも豊かな自然を残しておくためでしょう。
かなり長い池です。写真がもう一つ続いていると想像して下さい。 公園内の道を歩いていると小高い山がありました。
山の上に登るとベンチがあります。ひと休憩。
公園内小路 のどかな景色 クロマツ 竹藪
公園内小路 のどかな景色 クロマツ 竹藪
公園内の小路です。右側が山、左側は植物園になっていますが、この時期は何も咲いてないようです。 なんだかどこかの田舎の景色によく似ていました。とても心和む風景です。 山の中には、クロマツが生息していました。
クロマツには保存樹木指定標識が付いていました。
帰る際、竹藪を抜けて帰りました。
郷土資料館と平州記念館
外観 細井平州先生の銅像 郷土資料館
外観  細井平州先生の銅像  郷土資料館 
郷土資料館は、東海市内のいろんな時代の遺跡から発掘された各種の遺物、日常生活の用を終えた民具、生産生業に使われた農具や漁具などを展示しています。 細井平州は、享保13年6月28日に尾張国知多郡平島村(愛知県東海市)で生まれました。小さい頃から学問を習い、青年期には中国へ留学をし、中国語を習いました。
24歳の時、江戸へ出て「嚶鳴館(おうめいかん)」を開き、学者としてだんだんと有名になり、中でも米沢藩主
上杉鷹山(ようざん)公の先生となり、生涯を通して師弟のつながりをもったことが有名です。折衷学派とよばれる儒学を広めていきました。 
郷土資料館の特色ある資料としては、古代の塩つくりに使われた知多半島独特のかたちをした奈良時代の製塩土器や平安時代後期に造営された京都の鳥羽離宮関係の建物に使われた鬼瓦などがあります。 
古代土器 平州先生の教えが書かれた掛け軸 平州先生小語影印本
古代土器  平州先生の教えが書かれた掛け軸  平州先生小語影印本 
東海市で発掘された様々な土器がケースに収められています。
小さな刀剣の土器もありました。 
『先施の心』
先施とは、自分から先におこなう、ということです。
相手からの働きかけを待つのではなくて、自分の方から相手に働きかけていく心持が大切ですよ、ということです。自分から進んで働きかけることによって、相手のこころを動かすのです、と平州先生はつねづね説かれました。
 
現存する平州先生の書かれた書物が並んでいます。
ちなみに平州の名はペンネームで、生まれ故郷平島村の読み替えです。
平島=平州(ひらしま=へいしゅう) 
東海市のデータ
人口
10万7,653人(2009/1/1)
面積
43.36k㎡
市の木
クスノキ
市の花
サツキ
東海市しあわせ村
大仏の丘から撮影
大仏の丘から撮影
大仏の裏側を撮影しました。手前の建物はトイレです。大仏の大きさが分かりますよね?
昭和58年(1983)に、万葉の昔の「あゆち潟」に続く「知多の浦」「可家の湊(みなと)」など東海市古代の海岸線を想起できる地として、境内地を含め東海市の文化財に指定された。その後、大規模な修理が行われ、昭和60年(1985)6月1日に大仏寺本尊として、修復落慶法要が行われた。
郷土資料館
手水鉢
手水鉢(ちょうずばち)
大田町の天尾神社にあったもの。「天明3年卯正月」の銘がある。銘のあるものとしては、市内でも古いものである。
道標
道標
名和町の一番畑の交差点に置かれていたもので、『左 熱田一里廿八丁、右 なるミ』と刻まれている。裏面に、『明治30年5月早川三郎君の盡力(じんりょく)に依って改修なる。工事請負人荒尾村伊藤幸八建之』とある。
学思行
学思行
学、思、行相須(あいま)って良となす。細井平州は、実践を最も大事にした。
そのことを述べたことばで、学問と思索と実行とが三つ揃って、はじめて学問をしたということができる、という意味。
平州記念館バス亭
平州記念館バス亭
東海市循環バスのらんらん
バスの乗り場である。
1乗車100円、小学生以下と障害者の方は無料です。
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